自分の経験を交えて語る
プレゼンには必ず「自分」を入れるというテクニックを使う
東大の推薦入試はグループで行われることが多く、基本的にほかの人のプレゼンも聞くことになります。だから合格した人は、合格した人のプレゼンも、不合格になってしまった人のプレゼンも、両方聞いている場合がほとんどです。
推薦合格した人に対して「ぶっちゃけ、合格した受験生とそうでない受験生って、何が違ったんだと思う?」という、質問をぶつけてみました。
どの東大生も「うーん……それは難しいな……」と悩んでいたのですが、最終的にはこういう回答をする人が多かったです。
「自分の経験を交えて語れていなかった人は、不合格になっていたと思う」と。
惜しくも不合格になってしまった人のプレゼンの中には、合格した東大生の目から見ても、非常によく勉強していると感じたプレゼンや、プレゼンを見ているほうも非常に勉強になるといった内容のものも多かったそうです。
というか合格した東大生の中には「自分よりも勉強している(と思われる)学生も多かった」とまで語っている人もいました。「勉強量だけだったら自分のほうが劣っていたのではないか?」とすら考えている学生もいるくらいでした。
しかし、それでも落ちた人たちのプレゼンを後から振り返って考えてみると、「なぜほかでもない自分が、そう考えるようになったのか?」「そう考えた自分が高校時代に何をしていたのか?」というような、「自分」という要素が入っていなかったのだそうです。よく調べているのはわかったけど、「なぜあなたが語るのか」がわからないものばかりだったと。
例えば「今の世の中にはこういう問題があって、それに対してこういうことをすればいいと思います!」と語っている人がいたとして、その問題もその分析も、究極的に言ってしまえば調べればわかるものです。
東大の教授はそれ以上のことを知っているかもしれないし、そこに価値はない可能性があります。ほかの人でもそのプレゼンはできてしまうはずですし、それはもはや、プレゼンではなくただの「分析」なのです。
そうではなくて、「私はこういう体験をしてきて、だからこんなことを思いました。こういう活動をしてきて、その上で将来こういうことがしたいです」と、きちんと自分を絡めてプレゼンできているかどうかで、プレゼンの価値は変わってくるのです。自分という要素が入ると、その瞬間に「この世の中でその人以外は語れない意見」を作ることができます。
実際、合格者のプレゼンの内容を教えてもらうと、随所に「自分」という主語が入っていました。
分析的であり、論理的であったとしても、根本には「自分はこう思った」というものが存在し、自分にしかできないプレゼンをしていたのです。
・自分がどう思ったのか?
・そのプレゼンの内容が、自分の体験とどう結びついているのか?
こうしたポイントを入れることで、自分にしかできないプレゼンになるのではないでしょうか。
この記事は、↓の記事より、「私に必要だな」「参考になるな」と思った部分をまとめたものです。
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