母よありがとう

記憶が薄れていく

母さんってどんな人だっけ?

  • 野良猫を保護して、里親探しするレベルの極度の猫好き。最大14匹とか一度に保護してた。
  • 義理堅い
  • 甘い物が好き
  • 面倒見が良い
  • 困った人を放っておけない
  • 心配性
  • 神経質
  • 被害妄想する
  • 新しい物好き
  • 寛容
  • ゼルダの伝説が好き
  • どうぶつの森が好き
  • アンチャーテッドが好き
  • インテリアが好き
  • パズルが好き
  • 冒険が好き
  • 捨てられないタイプ
  • たくさんの人から愛されている

全て良いところというわけではないし、もちろん嫌な部分も多々あったけれど、総じて優しい母だったと思う。私に対してはもちろん、周囲の人に対しても、優しさ、気遣い、義理堅さ、正義感などを発揮して、誰からも好かれるタイプだったなと感じる。

最後に聞いた言葉

「早く寝なよ」

この言葉が頭の中でこだまする。

当時の私は、一日16時間、通勤時間とか含めると18時間くらい働いていた。

朝6時前に家を出て、日付が変わる0時ぐらいに帰宅する生活。

めちゃくちゃしんどかった。

業務上、高所へ登って作業することが多々あったのだけれど、疲れ過ぎて「たぶん俺、落ちて死ぬんだろうな。死んだ方が楽かな」ってちょくちょく考えた。

鬱になって異動になった同期に話すと、「俺もそれよく思った」って言って凄く共感してくれた。

寝るのは深夜1時~2時。

6時前には、家を出なければならず、5時に起床。

毎日大体、3時間か4時間しか睡眠をとることができなかった。

その日も仕事を終えて帰宅し、深夜にやっと夕食タイム。

さほど美味しくはないが、宅配弁当を食べるのが私の日常だった。

食後、シャワーを浴びる前、私は色々な感情が交錯しながらボーっとキッチンの椅子に座っていた。

その日、母は起きていた。

そして、キッチンへ来るや否や、ボーっとした私に向かって一言つぶやいた。

「早く寝なよ」

まさかそれが最後の言葉になるなんて私は思いもしなかった。

亡くなるちょっと前の思い出

どっさりフルーツヨーグルト食べて、美味しいって言ってた。少しほっこりする記憶だ。

私が庭に出て双眼鏡で満月を見ていたら、どっかから望遠鏡引っ張り出してきた。双眼鏡でも十分綺麗だったけれど、望遠鏡で見た月はもっと感動した。

保護していた一匹の猫の里親が見つかり、里親さんへ預けに行った日のお昼。近くのお店で、一緒にうなぎを食べた。

亡くなってからのこと

母のスケジュール帳を見つけて読んだ。私の誕生日にマークしてあって「何もしてやれず、寂しいものです。」って書いてあった。涙が溢れた。

母が亡くなった翌年に友人とグランピングをした。最初は全然気付かなかったのだけれど、BBQの途中で記憶に新しいうなぎ屋がグランピング施設の裏に丁度あることに気付いた。楽しい気分と、悲しい気分が混ざって複雑な気持ちになった。

「いつ何があるかわからない」という言葉は、ずっと前から響く言葉だったけれど、更に痛烈に感じるようになった。

身代わりになってくれたんでしょ?

母が突然亡くなり、死に物狂いで頑張っていた仕事への気力が一気に失せた。体力も精神も限界に近く、休息する丁度良い機会だと考え、今受け持っている仕事にカタをつけたら、辞職しようと決意した。この出来事が無かったら、もしかしたら死んでいたのは私だったかもしれない。きっと身代わりになってくれたのだと思う。そう思いたい。

感謝

お母さん、産んでくれてありがとう。

これまで育ててくれてありがとう。

あなたのおかげで、今日も私は元気で幸せに生きています。

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